発行日 2009年10月
発行人 サンセイ「パートナー編集室」
創業からの歩み
社長 冨田 稔
昭和36年2月20日先代社長中野芳男氏によって設立された会社も、創立50周年が間近に迫って来ています。この機会にパートナーの紙面を活用して、創業からの歩みを出来るだけ紹介していきますのでご期待ください。
初回は先代社長が築いた「NHKと日本鋼管との縁」と「親友が語った人柄」を紹介します。
NHKとの縁
NHK元専務理事・NHKインターナショナル元理事長 K・Y氏
中野芳男氏は昭和22・3年頃 NHKの有名な「英語会話」のテキストを発行していた「メトロ出版株式会社の代表取締役であられました。私はNHKの番組制作部門の部長でした。
はじめてこのテキストの仕事のことでお逢いした時、たまたま二人とも明治44年生れであることがわかり、それから急速に親しくなったのでした。その後昭和25年新しい放送法の施行によって、NHKが特殊法人となり、その為に放送テキスト等の編集発行の一元化をすることになりまして、当時の編成局長の私は中野さんとそのための折衝に当たりました。
中野さんはまことによく理解して下さって、その交渉は極めてスムーズに運びまして、日本放送出版協会にこの仕事を吸収することが出来ました。このあと中野さんは再びご出身の啓明交易に戻られ、さらにその後朝日物産を経て、昭和36年に三星実業株式会社を設立されて、その社長になられました。この間、中野さんと私の交遊は淡々とつづいておりました。そして三星実業株式会社がNHKの局舎清掃などのお仕事をしたいと申し出られた時、私は且っての中野さんのご協力に対して感謝申し上げる意味においても、その実現に若干の御力添えをさせて頂きました。その後も私がNHKを退いてからも私どもの交遊関係は温かく続いておりました。たまたまこの間昭和45年、私は郷里に迎えられて、東京を離れなければならなくなりました。そこで私は東新紙業・渋谷ビデオスタジオの社長のIさんに中野さんの相談相手になって頂く様にお願いいたしました。Iさんは快く引き受けてくださいました。
日本鋼管との縁
日本鋼管ビル管理株式会社 元代表取締役社長 H・K氏
中野さんと日本鋼管とのつながりは、まだ中野さんが啓明交易時代輸入石炭のお仕事をなさっていた時からです。その後、現在の会社を設立され日本鋼管も昭和49年に本社ビルガ完成した時に、当時の日本鋼管のM会長から「僕が原料にいた時からの知り合いで中野君といゆう人がビルメンテナンスの仕事をしているからいろいろ知恵を借りたらどうか」と紹介を頂きました。
親友との縁
富士重工業株式会社元取締役・当社元取締役 T・T氏
中野さんとは昭和15年開欒炭販売株式会社に入社したときからの出会いであり、啓明交易までの昭和28年まで仕事をともにしました。その後は世情の変動に伴い、お互い職場は異にすることになりましたが、俗に云う「駒が合う」と云うか離れて居るとお互い淋しくなり、常に「二人組」で今日まで生きて来たと思います。思い出されるのは、若かりし頃の野球チームの中野さんの4番バッター名ショート振り、穴熊戦法を得意とする将棋の時のニンマリ顔、絶妙のショートアプローチのゴルフの手際・・・・・切りがありません。考えてみますと中野さんほど正義感がつよく、義理人情に厚く、思いやりのある人物を見たことがありません。